2章 ふるさと仙崎

金子テルは明治36年4月11日、山口県大津郡仙崎村に生まれた。父金子庄之助、母ミチ、二つ上の長男堅助、それに母方の祖母ウメの5人家族だった。

父は数人の仲間と渡海船の仕事をしており、暮らし向きはかなり裕福だったらしいことが残された写真からうかがえる。

祖母ウメ、母ミチともに熱心な浄土真宗の門徒で、朝に夕に仏壇の前に座ってお勤めをする姿が、子供だったテルにも多大な影響を与えていった。

小さな漁村で仲むつまじく暮らす5人の生活に、もうひとつの小さな命が入ってきたのがテル2歳の時のことで、それが弟の正祐だった。まだ母親に甘えたい盛りのテルは、弟の誕生を悦ぶとともに、母をとられてしまったような複雑な心境になったに違いなく、その屈折した心情が後の詩作にも濃い影を落とすことになる。‥‥‥

これから父庄之助が清国に渡って命を落とし、弟が叔母フジの嫁ぎ先の上山文英堂に養子としてもらわれていき、フジがなくなったあとで自分の母親が後妻としてもらわれていくという激動がテルに襲いかかる。

それでも健気に学業を終えたテルは、家業の本屋を継ぎ、童謡を作り始めたが、初期の作品は友人に送った手書きの小曲集「こはれたぴあの」の中に納められたという新説を出した。

冒頭には北原白秋の「月夜の家」が載っただろうし、テルが作った「障子」「月日貝」「まつりの頃」「雀のかあさん」「濱の石」「雲の色」の六作がどうしても掲載誌が見つからないものであって、この時に友人にプレゼントしたと考えるのが自然だろうと思う。

そしてこの後で、仙崎から比べたら大都会の下関に出て、自分の作った童謡詩をさかんに雑誌に投稿するようになる。

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金子みすゞ 金子みすゞさんのことを書きました。わかれ童謡(うた)追憶のみすゞ

金子みすゞさんが生前発表した100作品を網羅、母と娘のまなざしをも通して生涯を綴る。 金子みすゞの魅力を、力不足を知りつつも書いてみたいと思いました。 仙崎、下関、青海島など取材、著作権があるから勝手にはさせないぞと主張する某出版社の妨害にも負けずに、 A5版220ページの本ができました。 自費製本ですので、応援する意味を込めてご注文願えるとありがたいです。