金子みすゞさんの残した童謡詩は、ざっと500点くらいあります。そしてそれらの中から100点ほどが雑誌や書籍に載って発表されています。発表作以外は長いこと埋もれたままでいたものを、矢崎節夫氏が発掘jula出版局から本になって世に出ました。けれども既に金子みすゞさんが亡くなってから50年以上経過しているので、著作権としては効力を失っていて、誰でもが扱ってもよい作品となっているのです。
ところがみすゞさんの作品を使うにはうちの許可を取れという部署があって、それがjula
出版局内の「金子みすゞ著作保存会」なのです。そこで下手に出て作品使用のお願いをすると、この計画はご断念下さいと、まことに慇懃無礼にダメ出しをしてきます。以下、正確を期するために、その返事を載せてみます。
ご申請いただきました、ご自身の小説『わかれ童謡(うた)母ミチ・みすゞ・娘ふさえ』(最初はこの題にしようと思っていたが、母と娘の部分を大幅に削った結果、今のタイトルとなったいきさつがある)に金子みすゞの作品、大正12年『お魚」「打ち出の小槌」から昭和4年「繭とお墓」までの66作品、死後発表の「たもと」「女王さま」「竹とんぼ」、更には『ミサヲ』の通信欄の文章など、を使用するという件につきまして、お断りさせていただきます。
理由といたしましては、娘ふさえさんは今もご健在です。自分を育ててくれた祖母ミチを深く愛しておりますので、他人の想像によるミチの独白で「みすゞ死後の展開を語ること」はやめていただきたいと思っておられます。ましてや、他人の想像で「金子みすゞのよみがえり」までをご自身が回想したように描かれることも望んでおりません。というよりは、拒んでおります。
また、矢崎節夫氏が『童謡詩人 金子みすゞの生涯』で明らかにした事実を、矢崎氏の了解なしにご自身の作品とされることは、当会では認められないのではないかと考えております。申しわけございませんが、この度のこの計画をご断念くださいますようお願いいたします。
当初は題名にもあらわれているように、母とみすゞと娘の存在を有機的に結びつけて語らせようとも考えていたのですが、指摘されるように、あまりにも傲慢だと思い直して、最終的にはずいぶんと控えめな記述になりました。
それはそれとして、作品名を挙げて使用はお断りするとも書いてありますが、私が列挙したのは雑誌などで既に発表された作品ばかりで、その著作権を有しているとの主張は筋が通りません。確かに調査の段階で弟さんに行き当たり、持っていた手帳から未発表の作品を発掘したとの矢崎氏の主張には力がありますが、既に著作権が失効しているものにいつまでも拘泥しているのは偏屈のそしりを免れないし、百歩譲ったとしても、雑誌に発表された作品までもとやかく言ってくるのもおかしいでしょう、という話。
聞いたところでは、お菓子か何かの包装紙に作品を使いたいと申請したところ、矢崎氏(著作保存会?)からダメ出しが出て使えなかったという話しも洩れ伝わってきますし、その他にもあちこちでいざこざがあったとも聞きます。もういい加減に、著作権を所有しているなんて根拠のない主張はやめにしませんか、というご提案でした。
金子みすゞ 金子みすゞさんのことを書きました。わかれ童謡(うた)追憶のみすゞ
金子みすゞさんが生前発表した100作品を網羅、母と娘のまなざしをも通して生涯を綴る。 金子みすゞの魅力を、力不足を知りつつも書いてみたいと思いました。 仙崎、下関、青海島など取材、著作権があるから勝手にはさせないぞと主張する某出版社の妨害にも負けずに、 A5版220ページの本ができました。 自費製本ですので、応援する意味を込めてご注文願えるとありがたいです。
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