9章 わかれ童謡(うた)

昭和4年の大晦日、正祐が帰関すると聞いたテルは、普段は敷きっぱなしの布団を上げ、やつれた顔に化粧をして彼を迎えた。なにも知らない房枝は「お母ちゃんのお口の赤いこと、赤いこと」とはしゃぎ、正祐がくれた東京土産の鳥のおもちゃで遊んでいた。

明けて昭和5年のお正月は、堅助、テル、正祐の3人が上山文英堂に集い、ミチのおせち料理を食べて歓談している。

この年の2月には、宮本が離婚に同意したが、テルに預ける房枝をいつでも父親側が引き取ることができるとの条件が付帯していた。文英堂の2階に越したテルは、ますます病状が悪化して立ち振る舞いも不自由になったところへ、宮本から娘を引き取りにいくというハガキを受け取って心が折れた。

写真を撮り、桜餅を買って帰ったテルは、その夜に限って房枝を風呂に入れた。着物を着たまま、湯船の外から体を支えるだけだったが、それでも房枝はよろこんで「いっちょのお風呂、うれしいねえ、またあしたも、いっちょに入ろうねえ」と言った。それはテルにとって、できない約束だったというのは、もう彼女は自死することを決めていたから。返事をする代わりにふたりで歌う童謡が、母屋のミチにまで聞こえてきたが、それこそがテルの最後の別れうただった

風呂から出ると、テルがおみやげに買ってきた桜餅が出されて、4人が仲良くいただいている。松蔵が奥に行くと、房枝も眠たがったので、ミチが一緒に次の間で横になった。

 房枝はすぐに、安らかな寝息を立てて寝入ってしまった。おかっぱ頭のきれいな髪が、ミチの手で優しく優しく撫でられていた。

 自分の寝所である二階に行こうとして、テルがふと足を止めてふたりの枕元に座った。

「可愛い顔をして、寝ちょるね」

 そして母の手と代わって、房枝の髪を愛おしげに撫でたテルは、静かな声で言った。

「小さい頃に、お母ちゃんにこうされたことを童謡に作ったんよ」

「ああ、覚えちょる。でも、そんなことまで書いちょったとは、知らんかった」

「私の髪の光るのは、いつも母さま撫でるからって」

「私の覚えちょるのは、ふみがらのおとむらい、ほんにさびしいおとむらいって‥‥。テルちゃん、あの時はごめんね」

 ミチの言葉の中には、これまでのすべてが込められていた。今まで胸につかえていたことを静かに伝えたミチは、いく粒かの涙をこぼし、過去のわだかまりを消し去ったテルもまた、たもとでそっと目尻を押さえた。

 心の中で母との別れを果たしたテルは、ゆっくりと立って「おやすみなさい」を告げると、二階への階段の途中で止まり、もう一度房枝の寝顔を目に焼き付けるように眺めて部屋に消えた。

 小さな文机の前に座ったテルは、ミチと松蔵に宛てて最後の手紙を書いた。恨みがましくない程度に結婚が失敗だったと書き、ふうちゃんのことを宜しくお願いしますと綴り、今夜の月のように私の心も静かですと書いてしまうと、もうテルがこの世でやり残したことはなかった。

 正祐宛てには定期便のようにして数日前に書いた手紙が投函せずに残っており、夫宛には「3月10日に房枝を引き取りに行く」とのハガキが届いた夜に書いてあったから、都合3通の手紙が枕元に重ねられた。

 これまでに正祐からきた手紙は全部取ってあり、それらはリボンに結ばれて分かるように置かれていた。正祐がかつて一度だけ書いてよこした「将来的には上山雅輔全集ができるかも知れない」との音信に、その時の用意にと残しておいた束だった。

 その上に写真の預かり証を乗せると、テルはかねてから少しずつもらっては溜めておいたカルモチンを一気に飲んだ。

‥‥‥テルの背中に天使の翼が生えていて、軽く小さくなった体が、すっぽりと金色のまばゆさに包み込まれている。

 遠くの方に、何人かが立って手招きしている。

 自分の名を、呼ぶ声が聞こえる。

 やけにまぶしいと思ったら、そこは仙崎の家の仏壇の中で、その先に「よい子のお国」があるみたいだった。

 テルは今こそ、自分がよい子になれたのを自覚して嬉しかった。「よい子のお国」に行けるかどうかが唯一の心残りだったし、そこに行くことが最終的な目標でもあったから、テルは身も心も晴れ晴れと軽やかないい子になって、まばゆい黄金色の中を突き抜けていった。

 大日比のミヨ伯母がいる。

 優しかった祖母のウメがいる。

 正祐の母をつとめた、フジ叔母もいる。

 そして、大親友の豊々代もいる。

 その時、自分の名を呼ぶ野太い声が聞こえた。がっしりとした大きな体で立っている人の顔は見えないけれど、その声には確かに聞き覚えがあった。テルは夢想の中でしか逢えなかった父庄之助の胸に、翼の生えた体ごと飛び込んでいった。

「おお、テルや、テルや‥‥」

 父親の大きな両手で掴まれたテルの体は、「高い高い」をされてどこまでも天に昇っていった。

「テルーっ、テルちゃーん、ダメだよおーっ、照子ーっ」

 どこからか別な声がして、テルは目を覚ました。もう目は見えなかったが、そこにミチがいることだけは気配で分かった。

 ついさっきまでのまばゆい金色は消え失せて、目の前には漆黒の闇が広がるばかりだったが、不思議なことに音だけはよく聞こえた。何人もが騒ぎ回っている中で、二階に上がる階段の下で制止されているらしい房枝の声が心に直接響いてくる。 

「お母ちゃんに、行ってらっちゃい、言うのよ」

 事情の分かっていない房枝は、誰かに言われたように、母親がどこかに出かけると思っているみたいだった。

 房枝の純粋で健気な気持ちが、たまらなく切なかった。こんないい子を残して、ひとりだけで逝(い)ってしまうのも申し訳なかったが、それも抗(あらが)いきれない運命というしかなかった。

 自分なりに戦ってはみたものの、最後になってテルが心を折られたのは、やはり体の隅々まで侵した病魔の力に負けたからだった。気持ちだけならばまだしも奮い立たせることもできたが、体に力が入らず、動きもままならないのではどうしようもなかった。

 それでもやはり死の淵に立って、愛おしい房枝の声を耳にすれば、哀惜の情が溢れてくるのを止めることもできなかった。

 もう開かないテルの目から、ひと粒の涙がこぼれた。せめて最期に、房枝と母の名を呼びたかったが、その唇は力なくすぼむばかりだった。

 目尻からこぼれ落ちた涙も、唇がわずかにうごめいたのも見逃さなかったミチの耳がテルの顔に近寄っていった。

 母親の懐かしい体温を感じたテルは、今の切実な気持ちをつぶやいた。

「‥‥本当は、死にたくなかった‥‥」

 ようやくそれだけささやくように言い残すと、テルはふたたび子供時代の思い出の中に迷い込んでいった。

‥‥青海島に渡る小さな渡し舟の上で、頼りになる堅助がしっかりと手を握ってくれている。朝早く島に着いたその日に限っては、大日比の伯母の家にはまっすぐに向かわず、テルの手を引いた堅助が大泊の港を過ぎてもずんずん歩いて行った。

 大泊までは小学校でも泳ぎに来たことはあったが、その先にまで行くのは初めてだった。多少の不安を覚えながらも、堅助にまかせておけば大丈夫と思うテルは、波の橋立を歩いて渡ったが、ふたりの冒険はそれだけでは終わらなかった。

 突き当たりの小山は、竹やぶと雑木でうっそうとしていたが、そんな薄暗がりを細い小径が奥へと続いている。小さな女の子だったら、誰でもが尻込みするような小暗い山道だが、テルは勇気をふるって堅助のあとからついていった。

 倒れた竹を踏み越え、ともすれば見えなくなりそうな踏み固められただけの細い径をよじ登り、這いつくばる風にして笹薮を突き抜けると、いきなり花津浦(はなづら)の裏側に出ていた。

 遠くから眺めると象みたいな形にも見える可愛らしい岩だが、真後ろから見上げるそれは怖いほどの巨岩で、くり抜かれた大岩の下を白波が音を立てて洗っていた。

 そんな場所にまで来ることは禁じられていなかったが、子供たちがひと山を越えて花津浦の裏まで行くとは親が思ってもいなかっただけであって、それがばれたら大目玉を食らうに決まっていた。だからそれは、堅助とテルだけの絶対の秘密だったが、なぜか永いこと忘れ去っていた出来事を昨日のことのように思い出したテルは、今度こそ本当に「よい子の国」へと昇天していった。

 時に昭和5年3月10日、午後1時。テルこと金子みすゞ二十六歳の、あまりにも早すぎる死だった。

テルが自死した2ヵ月後、蝋人形5月号にふたつの作品が掲載されたが、これは覚悟の投稿だった。

 前年の5月に愛誦に載った「夕顔」を最後に投稿を控えていたテルが、どうしてこのふたつを寄稿したかというと、房枝が何気なしにこぼした言葉に触発されたからだった。

「ぶうちゃんも象が欲しいね、お母ちゃんと、ぶうちゃんと、象に乗って行くね、明日」

 これは、おさなき日のテルの心象風景とみごとに重なり合うものだった。今更のように血のつながりを感じたテルは、房枝を愛していた証(あかし)を、はっきりとした形で残したいと念じた。それこそがまさに、テルが愛娘(まなむすめ)にしてあげられる最期のメッセージだった。

おほきな象にのりたいな、

印度のくにへゆきたいな。

それがあんまり遠いなら、

せめてちひさくなりたいな。

おもちやの象に乗りたいな。

菜の花ばたけ、麥ばたけ、

どんなに深い森だらう。

そこで狩り出すけだものは、

象より大きなむぐらもち。

暮れりや雲雀(ひばり)に宿借りて、

七日七夜を森のなか。

えものの山を曳きながら、

深い森から出たときに、

げんげ並木の中みちは、

そこから仰ぐ大空は、

どんなにどんなにきれいだろ。       蝋人形・昭和5年5月号

 

 そしてもうひとつの「四つ辻」は、おそらく今まで投稿していなかったのが気がかりな大好きな作品だったのかも知れない。

 正祐に渡された3冊の手帳には、活字化された作品の上には丸印が付されていて、中には初出誌が判明していない童謡が数点あるものの、最後のふたつは無印のままだった。

 だから多分、最後の寄稿になるだろうとの予感があったからこそ、テルが一番に気に入っている作品として選ばれたのではないだろうか。このふたつの童謡は、三ヶ月後の蝋人形・5月号の誌上に載った。

四つ辻

誰か

知らないお客さま、

おうちのみちをきかないか。

すねてお家をぬけたゆゑ、

秋の夕ぐれ、四つ辻に。

はらりはらりと散る柳、

ちろりちろりとつく灯(ともし)。

たれか

知らない旅のひと、

お家のみちをきかないか。      蝋人形・昭和5年5月号

  

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金子みすゞ 金子みすゞさんのことを書きました。わかれ童謡(うた)追憶のみすゞ

金子みすゞさんが生前発表した100作品を網羅、母と娘のまなざしをも通して生涯を綴る。 金子みすゞの魅力を、力不足を知りつつも書いてみたいと思いました。 仙崎、下関、青海島など取材、著作権があるから勝手にはさせないぞと主張する某出版社の妨害にも負けずに、 A5版220ページの本ができました。 自費製本ですので、応援する意味を込めてご注文願えるとありがたいです。