追補3章 誤解

 

「ここでは、あんたは使用人で、正祐は上山文英堂の跡取り息子じゃから、坊ちゃんと呼んでもらう。そして母親は、おかみさんと呼ぶんじゃ、ええな」

 開口一番にそう言い渡した松蔵に、病院で看病されていた時の好々爺然とした優しさはなかった。母ミチも横に立っていたが、ここ下関の上山文英堂で松蔵は大将と呼ばれる絶対的な君主だったから、何も言えなかった。それでも義理の娘に当たるのだから、テルと他の使用人の扱いに差があるのは当然で、彼女には二階の一部屋が与えられた。

 二階には下関商業高校を卒業したばかりの正祐の部屋もあって、その近さがのちに深刻な誤解を生むことにもなるのだが、ともかくこの状況は正祐にとっては歓迎すべきものだった。

 正祐は仙崎での文芸サロンの延長みたいな気分でテルに接したが、松蔵から釘を刺されている彼女は遠慮がちに受け答えするばかりだった。そんなテルの態度を変とも思わずに、正祐は自分の作曲用に供するための童謡集作りを彼女に頼んでいる。

 新しい環境にも仕事にも慣れなければならないテルにすれば、余計な作業には違いなかったが、彼女は夜遅くまでかけて童謡の選別と書き写しに没頭し、5日後には「鈴蘭の夢」と題した手書き冊子を正祐に渡している。

 彼が完成を急がせたのは、書店経営を学ぶために東京に行かされる日が近づいていたからで、もちろん正祐はその出来上がりをよろこんだが、この作業はむしろテルにとっての大きな刺激ともなっていた。

 仙崎でも少しばかり童謡作りの楽しさに目覚めてはいたものの、下関という大都会の雰囲気に触発され、同時に「鈴蘭の夢」の作成段階でも大いに刺激されたテルは、本格的に童謡詩作りを決意し、それまでの消極的な性格を打ち消すかのように雑誌に投稿する意志を固めていった。

西條八十

選者

ではなくなってしまった

童話誌

だったが

それでもテルの

作品

はほとんど

毎号

掲載

されている


田舎(ゐなか)の繪(ゑ)

私は田舎の繪をみます。

さびしいときは、繪のなかの、

白い小みちをまゐります。

むかうに見えるは水車(すゐしや)小屋(ごや)、

見えないけれど、あの中にや、

やさしい番人のお爺さん。

小屋の小かげにや茱萸(ぐみ)の木に

あかい茱萸の實うれてましよ。

あすこに見える山かげにや、

ちひさな村があるのです。

田舎の繪にある小みちには、

誰(たれ)もゐません静かです。

表にや忙しい、人、車、

それでも繪のなか静かです。

いつでものどかな日和です。          童話・大正13年8月号


草山(くさやま)

草山の草のなかからきいてると、

いろんなたのしい聲がする。

「けふで七日も雨ふらぬ、

のどがかはいた、水欲しい。」

それはお山の黒い土。

「空にきれいな雲がある、

お手々ひろげて掴まうか。」

それはちひさな蕨だろ。

「お日さまお呼びだ、のぞかうか。」

「わたしも、わたしも、ついて行こ。」

茱萸(ぐみ)の芽、芝の芽、茅萱(ちがや)の葉、

いろんなはしやいだ聲がする。       童話・大正13年8月号


祭(まつり)のあくる日

きのふ、神輿(みこし)のにぎはひに、

つい浮かされて殘つたが、

昨夜(ゆふべ)は遠いお囃子(はやし)に、

芝居の夢をみてゐたが、

さめてかあさん呼んだとき、

みんなに、みんなで、笑はれて、

そつと出てみた、裏山の、

おいてけぼりのお月さま。         童話・9月号


蚊帳(かや)

かやの中の私たち、

網にかかつたおさかなだ。

なにも知らずにねてるまに、

ひまなお星が曳(ひ)きにくる。

夜の夜中に眼がさめりや、

雲の砂地(すなぢ)にねてゐよう。

波にゆらゆら、青い網、

みんなあはれなお魚だ。          童話・10月号


田舎(いなか)

私は見たくてたまらない。

小さい蜜柑(みかん)が蜜柑の木に、

金色に熟(う)れてゐるとこを。

また、無花果(いちぢく)がまだ子供で、

木にかぢりついてゐるとこを。

それから、穂麥(ほむぎ)に風が吹き、

雲雀(ひばり)が歌をうたふとこを。

私は行きたくてたまらない。

雲雀(ひばり)がうたふのは春だらうけれど、

蜜柑の木にはいつ頃に、

どんなお花が咲くだらうな。

繪にしきや見ない田舎には、

繪にないことが、きつと、

たくさんたくさんあるだらうな。      赤い鳥・大正13年10月号


きのふの山車(だし)

祭りのあくる日、ひるねごろ、

みんながお晝寝、あちこちに。

さびしくかどに立つてたら、

きのふの山車(だし)がゆきました。

花も人形もこはされて、

車ばかしがごろごろと、

かわいた路をゆきました。

ひとりさびしく見おくれば、

きのふの山車(だし)も、曳く人も、

埃(ほこり)のなかになりました。             童話・12月号  

この頃のテルは、赤い鳥と童話の両方に投稿しているが、八十の日本にいないむなしさを通信欄で述べたりもしている。

「涼しくなりました。お送り下さいましたものたゞいま届きました。ありがたく頂戴いたします。このごろ曲譜がのつたり、のらなかつたりするのはさびしい氣がします。西条党で本居党の私たちには「お月さん」以後の「八十長世もの」がどんなに有がたかつたでせう。西条先生はお留守なんですからあきらめてゐますけれども、本居先生は、たしかおかへりになつた筈とおもつて、毎月、待つてゐましたのに、もう、本居先生はお出しになりませんのでせうか。ほかの雑誌にのつたのをみては、たまらなくなりましたから、お伺ひ申し上げます。もうぢきに十月号がまゐります。それにのつてゐるかとたのしみにしてゐます。さよなら」     金子みすゞ                 赤い鳥・12月号・通信欄


章ごとに、本の中身を少しづつ見てもらっています。表示が横書きなので雰囲気が大分違いますが、それでもいくらかは感じがわかると思います。手作りの自作本ですが、書籍コードもありますので、ご近所の本屋さんに注文してもらえればすぐに送ります。それより早いのは、直接ご連絡いただく方法で、ファクス042-537-6724かパソコンメールinbi@ae.auone-net.jpにメールしてください。すぐに郵送しますが、料金は後払いでお願いします。

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金子みすゞ 金子みすゞさんのことを書きました。わかれ童謡(うた)追憶のみすゞ

金子みすゞさんが生前発表した100作品を網羅、母と娘のまなざしをも通して生涯を綴る。 金子みすゞの魅力を、力不足を知りつつも書いてみたいと思いました。 仙崎、下関、青海島など取材、著作権があるから勝手にはさせないぞと主張する某出版社の妨害にも負けずに、 A5版220ページの本ができました。 自費製本ですので、応援する意味を込めてご注文願えるとありがたいです。